よろこぶ集いの「報恩講」
令和7年11月28日(金)、武蔵野キャンパス雪頂講堂にて報恩講(ほうおんこう)の法要が執り行われました。
いきなりですが、皆さん。「報恩講」ってどのような法要なのかご存じですか? どれどれと「仏事Q&A」なる本を開いてみるとそこには…
報恩講とは、浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご命日(一月十六日※)をしのび、聖人の恩に報いる法要をいいます。それは私たちが聖人のお説きくださった阿弥陀如来の教えに出あえたことをよろこぶ集いであり、浄土真宗でもっとも大切な法要です。
「仏事Q&A 浄土真宗本願寺派 | 前田 壽雄 著(国書刊行会)」
※1月16日は新暦。旧暦では11月28日がご命日とされている
とありました。なんと報恩講は「阿弥陀如来の教えに出あえたことをよろこぶ集い」でもあったのです。お仏壇を改めて見ると赤いろうそくやたくさんの花でお荘厳されており、確かに華やかな雰囲気を醸し出しています。
赤いろうそくやたくさんの花でお荘厳されて華やかな雰囲気のお仏壇
さてさて報恩講当日
親鸞聖人のご命日をしのび、阿弥陀如来の教えに出あえたことをよろこぶべく、法人関係者や武蔵野大学高等学校の生徒が武蔵野キャンパス雪頂講堂に集まりました。
卒業生の皆さんにもおなじみであろう合掌・礼拝、礼讃歌、仏前荘厳、代表焼香、式辞と進む中、この日のクライマックスはやはり総長
「今日ね、ちゃんと話せる気が全くしないんですよ。タイトルも迷いに迷って『転依の教え』っていうね。失敗したなーって思ってるんですよ」と柔らかな関西のイントネーションでゆったりと語りかける釈先生。
関西のイントネーションでゆったりと語る総長 釈徹宗先生
「ひっくり返して物事を見る」ということの大切さを、お葬式で見た家族の話、金子みすゞさんの詩、檀家さんのおじいちゃんが亡くなったときの話、さまざまな例えを引っ張り出して高校生にも理解しやすいように説かれました。
「願っている」から「願われている」へ
「見ている」から「見られている」へ
「してあげる」から「させていただく」へ
浄土真宗で一番大切なところは「常に仏に願われている私に気づくこと」とおっしゃる釈先生は、最後に「仏教とか浄土真宗の詳しい教えがね、別にしっくりこなくてもいいんですよ。でもそうやって、習い覚えた仏教を通して一度社会を見てみる、人間を見てみるっていうようなこと。実践していっていただきたいというふうに思います」と言って法話を締めくくられました。
今回の報恩講に参列した高校生にはまだまだピンとこないかもしれませんが、これから数年数十年先の未来に「あの時のお話はこういうことだったのか」としみじみとありがたく思い出す日が来ればこんなに嬉しいことはありませんね。
「ひっくり返して物事を見る」。皆さんにもぜひ実践していただければと思います。
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報恩講といえば、報恩講の歌詞
🎵身を粉にしても謝すべし🎵
中学生の時に歌いながら、そこまで感謝すべきことなのか〜と思っていました。
意味がわからなくても、歌で覚えると時々口ずさんじゃいます。
仏教に出会えたことに感謝
合掌
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