武蔵野マガジン

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のびやかに、はつらつと、抽象画と具象画の二刀流を貫く|高橋晴美さん

文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏

高橋晴美(たかはし・はるみ)さん|現代美術アーティスト
千葉県生まれ、東京育ち。2000年3月、武蔵野女子学院中学校(現 武蔵野大学中学校)を卒業。2003年3月、武蔵野女子学院高等学校(現 武蔵野大学高等学校)を卒業。中高時代は箏曲部に在籍し、高校2年次には副部長を務めた。中高時代で特に印象に残っているのは数学の斯波明徳先生で、きめ細かな指導がためになっただけでなく、何気ない会話も楽しかったという。2017年3月、武蔵野美術大学の造形学部油絵学科を卒業。2017年から2023年まで6回連続で二科展に入選している。

今でも折にふれて築地本願寺に足を運ぶ

現代美術アーティストとして活動する 現代美術アーティストとして活動する

高さ160センチほどの大きなキャンバスに向き合い、自由闊達に絵を仕上げていく。思うままに色を選び、思い切りよく筆を動かしたかと思えば、大胆に筆をたたきつけてみる。精魂を傾けて出来上がった抽象画が高い評価を得る一方、それより少し小ぶりな画布に、優しい色使いと穏やかなタッチで描かれた目玉焼きやスウィーツによる具象画の「食べものシリーズ」でも注目を集めている。

抽象画と具象画の二刀流を貫く現代美術アーティストの高橋晴美さんは、10代の多感な時期を武蔵野キャンパスで過ごした。武蔵野女子学院中学校・高等学校(現 武蔵野大学中学校・高等学校)での6年間では、特に仏教の教えがじんわりと体に染み込んだという。

高校時代の写真。最前列左端が高橋さん 高校時代の写真。最前列左端が高橋さん

「浄土真宗の幼稚園に通っていてなじみもあったのか、のびのびとした空間で心を豊かに生活できる環境はとても居心地のいいものでした。毎朝、手を合わせて行う『三帰依文』のおかげで、一日を落ち着いた気持ちで迎えることができましたし、週に一回ある宗教の授業では、仏教だけでなくほかの宗教についても学び、広い意味で『生き方』を学んだ気がします。特に心を穏やかにする習慣が身につきました。のびやかな6年間を過ごしたことは、今のアート活動にも何かしらの影響を与えていると感じています」

4歳のころにピアノを始めた高橋さんは、週に⼀度の講堂朝拝のパイプオルガン係を担当した時期もある。講堂全体が楽器となり、仏教讃歌が重なった瞬間は心が震えるほど感動的なもので、今でも忘れられない。中学1年次と高校1年次に、同級生たちと築地本願寺に参拝したことも印象に残っている。荘厳な本堂に圧倒されながらも、お経を聞いてやはり心に平穏が訪れた。今でも折にふれて築地本願寺に足を運ぶのは、「生きとし生けるものが平和で幸せになるために」「情操や品性を養う」といった仏教精神が心の支えとなっているからだ。

箏に打ち込み、生涯の友を得た中高の6年間

中高時代は箏曲部に在籍。中央が高橋さん 中高時代は箏曲部に在籍。中央が高橋さん

武蔵野女子学院中学校を選んだ最大の理由は「箏(こと)」だったという。小学5年生のときに初めて触れた箏の音の広がりや美しさに、すぐに魅了された。中学校に入ってからも箏を続けたいと、学校選びを進めていく。高橋さんは振り返る。

「お箏の部活動があり、かつ自宅から通いやすい距離ということで武蔵野女子学院中学校を第一志望にしました。6年生のときに文化祭にあたる樹華祭を訪れたんですが、その際に接してくれた箏曲部の先輩方が皆さん本当に素敵で。指導を受けながら『さくらさくら』をお箏で弾くと、ものすごく褒めてくださって、それが本当にうれしかったんです。箏曲部の先輩たちはもちろん、学院全体が穏やかでありながら、はつらつとした雰囲気があって、ここなら生き生きとした学校生活を送れると感じました」

懐かしそうにアルバムをめくる 懐かしそうにアルバムをめくる

無事、第一志望の武蔵野女子学院中学校に合格すると、迷わず箏曲部に入った。同じく入部した中学1年次のクラスメイトの一人とは、すぐに親友になった。中学時代は同期が2人だけだったため、お互いに練習に励んだり、帰り道で友人関係や勉強の悩みを相談し合ったりしているうちに、どんどん仲は深まっていった。夏の八ヶ岳合宿で演奏に打ち込む傍ら、一緒にバーベキューで笑い合うなど、高校3年が終わるまでの長い間、同じ空間で同じ時間を過ごした親友とは今でも仲がいい。武蔵野キャンパスは生涯の友を得た場でもある。

武蔵野女子学院高等学校を卒業したあとも、箏は続けている。高橋さんが話す。

「共学の広い世界に身を置いてみたいと思い、新しい環境としてほかの大学に進学したのですが、そこに箏の部活動やサークルはなく、音楽教室で気楽な気持ちで続けていました。ですが、大学を卒業してしばらくして『また本格的に箏を弾いてみたい』という思いが強まり、音楽学校に入学しました。働きながら和楽科で箏を学び直し、それからもずっと続け、2016年には生田流箏曲清絃会の准師範を取得することができました。次は師範をめざしています」

「世界を視野に入れた制作活動を続けていきたい」

2012年、箏を軸とした生活を送っていた高橋さんに転機が訪れている。「仕事で役立てば」と考え、デザインやプログラミングを習っていると、その道を極めてみたい思いが強まった。「転職にも生きるはず」と考え、27歳のときに社会人を辞めて武蔵野美術大学に入学した。

当初はデザインを追求するつもりだった。けれども、思わぬ視点に導かれていく。高橋さんは人生の分岐点を明かす。

「入学してほどなく、私の描いた油絵が成績優秀者の参考作品に選ばれ、学内展覧会に出展されたんです。その作品を見た何人かの先生方に『デザインより油絵を突き詰めていったほうがいいのでは」とアドバイスを受けまして、油絵をやってみようと思いました。振り返れば、小学生のときの図工の時間で自由に絵が描けるのは好きだったんですよね。美大に入って以降、油絵を仕上げる過程もそのころと同じく楽しい感覚があります」

  • 抽象画の「竜神」では二科展で初出品初入選

    抽象画の「竜神」では二科展で初出品初入選

  • スウィーツなどによる具象画の「食べものシリーズ」でも注目を集める

    スウィーツなどによる具象画の「食べものシリーズ」でも注目を集める

  • 精力的に個展を開いている

    精力的に個展を開いている

  • 個展で箏のミニコンサートを行うことも

    個展で箏のミニコンサートを行うことも

武蔵野キャンパスで身につけた穏やかさとはつらつさを筆にのせて、一心不乱に油絵を描き続けた。4年間の集大成として臨んだ卒業制作では「竜神」と「雷神」という抽象画を完成させた。卒業した2017年の9月には「竜神」が二科展で初出品初入選、「雷神」が行動展で初出品初入選を果たしている。以降、春陽展で初入選、三菱商事アート・ゲート・プログラムの第41回で初出品初入選、同プログラムの第42回でも入選など、数々の美術展で入選を経験してきた。2020年には地球規模で若手アーティストを支援するオンラインギャラリーを展開しているTRiCERA(トライセラ)社と大日本印刷社による共同プロジェクトに選出。各国から選りすぐられた11人のアーティストの一人として、限定エディションの高精彩複製作品を販売する場に参加した。2021年には河口湖音楽と森の美術館で行われた若手アーティスト作品展示・販売プロジェクトに名を連ねている。

「二科展で6回連続で入選できているのは大きな自信になっています」と語るとおり、思いも寄らなかった転機からの道のりは順調だ。高橋さんは夢を話す。

「私の周りには将来の美術史に名前を残すようなアーティストがたくさんいるので、そういう作家さんたちに刺激を受けないわけにはいきません。海外のアーティストやアート関係者たちと対等な立場でいられるような、世界を視野に入れた制作活動を続けていきたいです。見た人が安らぎや元気を得られるような作品を描き続けていきたいですし、そのなかでは、中高時代にふれた心の穏やかさや思い切りのよさを生かしていきたいです」

すでに厳選な審査を経て、世界的なアートオンラインギャラリーのTRiCERA ART(トライセラアート)やSINGULART(シングルアート)で作品を販売している。国境を超えて活躍する夢は、確実に形になっている。

※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。

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