武蔵野マガジン

MUSASHINO CONNECTION

音楽の力を生かせる僧侶をめざして|太田文子さん

文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏

太田文子(おおた・あやこ)さん|声楽家/二期会会員/元築地本願寺合唱団楽友会指揮者
三重県津市出身。3歳より東京都杉並区在住。1978年3月、武蔵野女子学院高等学校(現武蔵野大学高等学校を卒業、1982年3月、武蔵野女子大学(現 武蔵野大学)の文学部英米文学科を卒業。4歳からピアノ、14歳から声楽を始め、桐朋学園芸術短期大学芸術科音楽専攻卒業、東京コンセルヴァトアール尚美研究科卒業、二期会オペラスタジオマスタークラス修了。第28回フランス音楽コンクール第3位。フランス総領事賞、及び大阪日仏協会賞受賞。第11回日仏歌曲コンクール入選。2013年度国際芸術連盟音楽賞受賞。東京オペラシティなどでソロリサイタルを開催してきた。築地本願寺合唱団楽友会の指揮者を経験、浄土真宗本願寺派寺院にて仏教讃歌の指導に携わる。2022年に中央仏教学院通信教育部専修課程を卒業。

高校生活ではマンドリンクラブやバンド活動など音楽に打ち込む

両親の勧めもあって、推薦入学で武蔵野女子学院高等学校(現 武蔵野大学高等学校)の生徒となった。

推薦を受けるにあたって武蔵野キャンパスを下見に訪れたところ、数年前の記憶があざやかによみがえったという。武蔵野女子大学(現 武蔵野大学)でも学んだ太田文子さんは振り返る。

「小学校のときの杉並区のスポーツ大会が、武蔵野キャンパスの松芝園グラウンドで開催されたんです。私は走り高跳びに出場したんですが、大会をサポートするお姉さんたち、つまり武蔵野の先輩になる方たちがとても優しくて。その印象が強くて、高校入学のために学院に下見に来た際、母に『私、この学校に来たことがある! この学校に入りたい!』とすぐに伝えました」

「何かのご縁だったのかもしれませんね」と、ほほ笑む太田さんによれば、武蔵野女子学院高校は先生方がとにかく優しくて、のびのびと過ごせたという。怒られた記憶も、嫌な思い出もない。

武蔵野キャンパスでは音楽に打ち込んだ 武蔵野キャンパスでは音楽に打ち込んだ

ありのままの自分を受け入れてくれる学び舎では学業、音楽にも打ち込んだ。4歳のころからピアノに親しんでいた太田さんはピアノやオルガンで仏教讃歌の伴奏をするかたわら、マンドリンクラブで3年間を過ごした。イタリア生まれの弦楽器を奏でる一方で、アコースティックギターやベースギターも演奏。バンドを結成し、フォークソングも歌った。

音楽に彩られていた高校生活では忘れられない思い出がある。お気に入りだった「クラフト」というフォークグループにまつわる出来事だ。コピーバンドを組み、人気を博した『僕にまかせてください』という曲も熱心に演奏した高校3年生だった1978年、クラフトから直々に声がかかった。

「コピーバンドということで、今はもうなくなってしまいましたが、渋谷エピキュラスのスタジオに呼んでもらったんです。直接、演奏を教えていただいて、その後、彼らのライブで前座的な立場で曲を歌って。『一生に一度しかないような機会に恵まれた!』と感動していたら、ライブの終わりにクラフトのメンバーが突然『僕たちは解散します』と宣言したんです。思わぬ展開に私たちは大泣きして、あまりのショックでその日は友人の家に泊まって、みんなで解散を惜しみました」

介護疲れのなかで築地本願寺合唱団楽友会に入会

築地本願寺合唱団学友会では指揮者も務めた 築地本願寺合唱団学友会では指揮者も務めた

大好きなクラフトはなくなってしまったけれど、武蔵野女子大の文学部英米文学科に進んだあとも音楽は続けた。マンドリンクラブを続けながら、音大の声楽科受験をめざした。そして武蔵野女子大を卒業後に音楽大学へ進学。声楽家団体の「二期会オペラ研修所」で三年間学び、二期会の会員となり、コンサート、コンクール、ソロリサイタルの活動をスタートさせた。その間、ヤマハ音楽教室の講師も務めた。

武蔵野女子大を卒業して四半世紀、太田さんの人生において、めぐりめぐって音楽と仏教が強く結びつく。太田さんは再び「何かのご縁だったのかもしれませんね」と話す。

  • 1981年12月、マンドリンクラブで定期演奏会を行った

    1981年12月、マンドリンクラブで定期演奏会を行った

  • マンドリンクラブでの活動は大切な思い出の一つだ

    マンドリンクラブでの活動は大切な思い出の一つだ

  • 武蔵野キャンパスでは並木道が好きな場所の一つだった

    武蔵野キャンパスでは並木道が好きな場所の一つだった

  • 声楽家として東京オペラシティなどでソロリサイタルを開催

    声楽家として東京オペラシティなどでソロリサイタルを開催

  • 「築地本願寺学生報恩講」で、仏教讃歌の歌唱指導を行った

    「築地本願寺学生報恩講」で、仏教讃歌の歌唱指導を行った

  • 「浄土真宗は音楽に直結している部分が多い」と話す

    「浄土真宗は音楽に直結している部分が多い」と話す

「両親と義母の介護を30年以上続けて、心身ともに本当に疲れてしまったんです。癒やしがほしい、少しでも悩みが軽くなってほしい、そんなことを考えていたときに、母校とも関係が深い築地本願寺に合唱団があることがわかって、また仏教讃歌を歌いたいと思って迷わず入団しました。その流れから、いつのまにか築地本願寺合唱団楽友会の指揮者も任せていただき、3年間、宗門校の生徒さんたちの『築地本願寺学生報恩講』にて、仏教讃歌の歌唱指導をさせていただきました。本当に貴重な経験でした」

仏教讃歌の歌詞の意味をかみくだきながら、自ら歌い、また指導していくなかで、浄土真宗の教えが深く染み込んできた。同時に、なぜ自分はここにいるのだろうという不思議な感覚に陥ったという。さまざまな縁に導かれ、高校や大学で接してきた仏教の道に再び戻ってきた感じがして、今後の人生が見えた気がした。

『一切の衆生を救いたいという願いをおこされたのが阿弥陀如来様です。決してあなたを一人にはしない、必ず救うから安心して私に任せなさい』という浄土真宗の“み教え”は、仕事や介護で疲れていた私を助け出してくださいました」

生きることの意味さえ失いかけていた自分を救ってくれた浄土真宗の教えを学びたい──そう考えた太田さんは僧侶養成のための学校である中央仏教学院の通信教育部で3年間学び、2022年に専修課程を修了した。

音楽に向き合っていることから「釋 妙音」という法名に

現在は僧侶をめざしている 現在は僧侶をめざしている

音楽家である自分にこそできることは何か。そう考えた太田さんは、仏教讃歌を通して浄土真宗の“み教え”を弘めていきたいという思いが強くなっていった。

「仏弟子、つまりお釈迦さまの弟子になるための証しである帰敬式を受式したのですが、『音』という一字を入れていただきたいとお願いして『釋 妙音(しゃく・みょうおん)』という法名をいただきました」

「釋 妙音」こと太田さんは現在、僧侶をめざしている。音楽家として、また念仏者としての道を歩みながら、人生の苦楽をありのままに受け入れ、必ず浄土に仏として生まれさせていただける、という浄土真宗の“み教え”を、多くの人々に伝えていきたいと考えている。「太田さんにしかできないことがあるはずですよ」という先輩僧侶の先生方や、周囲の思いが大きな支えになっている。

できるだけ早く、僧侶になるべく得度習礼を受ける予定だ。京都市にある本願寺西山別院で11日間の修行に励む。新聞やテレビ、ラジオやスマートフォンのない世間とは隔離された環境で早朝に起き、講義や課題をこなすなかで何度もお経を唱え、作法を学ぶ。11日間とも睡眠時間は4時間前後という厳しさへの覚悟はできている。自分にこそできることがあると信じているからだ。

小学生のとき、「私、この学校に入りたい!」と直感的に決めた学校では、まだよくはわからなかった浄土真宗の“み教え”が、さまざまな人生経験を経た今、はっきりとした輪郭を持って理解できている。太田さんは「不思議なご縁ですよね」と話し、続ける。

「音楽には癒しの力があります。それに仏教の教えが重なればきっと救いになります。私が実際そうでした。介護で疲れて、再び仏教讃歌を歌っているうちに、初めて出たコンサートでは自然と涙が出ました。浄土真宗は音楽に直結している部分が多いですし、仏教讃歌の歌詞はお経や仏徳讃嘆です。これからの人生では、音楽家でもある僧侶として、自分ができることを生涯やり続けていきたいと思います」

※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。

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