文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏
伊藤遥香(いとう・はるか)|グレイスコミュニケーションズ株式会社
千葉県出身。聖徳大学附属女子中学校・高等学校(現 光英VERITAS中学校・高等学校)で学んだあと、2024年3月に武蔵野大学の文学部日本文学文化学科を卒業。3、4年次には芥川賞作家であり客員教授でもある楊逸先生による文芸創作ゼミを受講。大学在学時に多くの小説を書き、卒業制作『いつかなくならないものたちへ』が文芸創作ゼミ内の優秀作品として『武蔵野大学創作論文集』に掲載。監督を務めた短編映画『万年幻想曲』が第34回東京学生映画祭で観客賞を受賞し、武蔵野大学の名前を広く知らしめた功績を評価され、大学同窓会からむらさき会賞を授与された。趣味はメディアプラットフォームの「note」で文章を発信すること。
中高時代を終えたあとに味わった悔しさが表現の原動力に
表現に夢中になった4年間だった。小説を書き続け、和太鼓を叩き、コピーライティングを学び、映画の監督をして、インターネットラジオ番組「イドバタコウギ」のパーソナリティーを務めた。
まっしぐらに発信に打ち込んだ背景には、中高時代を終えたあとに味わった悔しさがあった。武蔵野大学の文学部日本文学文化学科で学んだ伊藤遥香さんは打ち明ける。
「中高時代はバスケットボール部の活動に打ち込んだものの、試合で活躍できるような選手にはなれませんでした。それから、本当は哲学を勉強したかったのですが、そちらの受験も全滅……中高で特に打ち込んだ部活と勉強がどちらも報われなかった。その挫折があまりにもつらすぎて、『これからの人生はもっと充実させよう』と思い、武蔵野大学では自分の感情や意思を思いきり表現してやろうと思ったんです」
まっしぐらに発信に打ち込んだ背景には、中高時代を終えたあとに味わった悔しさがあった
武蔵野大学に入学した2020年は、折しも世界中が新型コロナウイルス感染症の脅威に見舞われていた。武蔵野大学も感染拡大を防ぐため、全学的なオンライン授業を導入。自宅での学習を余儀なくされたけれど、居心地は決して悪くなかった。「小説を創作できるという環境に引かれて入った大学なのだから」とひっそりと小説を書き出し、SNSのフォロワー限定で発信を始めた。
1年次には大学公認クラブの「和太鼓 隼(はやぶさ)」に入部している。小学5年生のときに和太鼓を叩いた経験があったこと、ファンだった声優のライブで和太鼓が使われていたこと、そしてその演奏者が「隼」の創設者であったことから、武蔵野大学との縁を実感した。文化祭にあたる「摩耶祭」でのステージが最初で最後の公演となったが、「武蔵野!武蔵野!」とコールをする曲を演奏し終えると、武蔵野大学で学ぶ自分が肯定されているような気分になった。
大学公認クラブの「和太鼓 隼(はやぶさ)」でも活動。前列左から2人目が伊藤さん
1年次の終わりには、大きな出会いがあった。ディストピア文学を学ぶうえで、2016年に『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した村田沙耶香さんの存在に引かれ、小さくない影響を受けた。伊藤さんは振り返る。
「2年次のはじめ、川西宏之先生のプレゼミで砂漠の白黒写真から発想を得て作品を書く授業があったんです。そのとき、私はその砂漠が散骨の場所だと捉えて小説を書き始めたんですが、『違和感を描く』といった点では村田沙耶香さんの作品に感化された部分があったと思います」
『週刊読書人』に村田沙耶香さんの『消滅世界』を扱ったブックレビューが掲載
村田沙耶香さんの作品については、書評を世の中に発信している。2年次、書評専門週刊紙『週刊読書人』の「書評キャンパス 大学生がススメる本」という連載コーナーに村田沙耶香さんの『消滅世界』を扱ったブックレビューが掲載された。映像制作表現プログラムで出会った友人に紹介されたことをきっかけに、書評を仕上げて送った。「私は村田沙耶香さんの作品を読む行為を、読書ではなく、『摂取』だと思い込んでいる」という一文で始まる視点がプロから認められたのは大きな自信になった。
2年次、「発展フィールド・スタディーズ(発展FS)」のコピーライティングプログラムでは、梅田大輔先生から「コピーライターはラブレターの代筆屋さんだ」という本質を学んだ。書き手としての伊藤遥香の存在は消し、たとえば語り手になりきり、企業を率いる人々の思いを余すところなく言葉に変える。その奮闘を文章にして「見える化」する大切さを肌で感じた。
3年次になると、就職活動を見据えた時間の使い方をより一層考えるようになった。その際、武蔵野大学が柔軟な対応をとってくれたと伊藤さんは明かす。
「本来、発展FSは一つしか受講できないんです。私はすでに梅田先生のコピーライティングプログラムを受講していたのですが、どうしても小谷忠典先生の映像制作表現プログラムも受講したくて。大学に相談したら『映像制作表現プログラムは単位認定のない聴講生という立場でなら受けても構いません』という返答をいただけたんです」
意欲的に受講したこの映像制作のプログラムで、『万年幻想曲』という映画の監督を務めた。主人公は母子家庭で育った天(そら)。母の陽子は心理カウンセラーとして多忙な日々を送っているが、天はある日、ピアニストをめざす友だちの彩葉が、陽子のカウンセリングを受けている事実を知る。実の親子のように彩葉と向き合う母の姿に、天は複雑な感情を抱き……という28分の映画は4年次の2023年8月、第34回東京学生映画祭で観客賞を受賞している。
同じころ、小説執筆について学びを得た瞬間も忘れられない。2023年度に武蔵野大学の特任教授に就任した町田康先生の授業での出来事だ。2000年に『きれぎれ』で芥川賞を受賞した作家に穏やかな指摘を受けた。伊藤さんは話す。
「私が小説のなかでありきたりな表現を使って書いていたら、町田先生が『決まり文句みたいなものを使っているとあなた自身が損をしますよ』と言葉をかけてくれたんです。『損をしますよ』というその言い方がとても心に刺さって、それ以降はありふれた言葉遣いをしないように気をつけるようになりました」
インターネットラジオ番組「イドバタコウギ」にパーソナリティーとして関わる
4年次には新たな挑戦にも取り組んでいる。文学部長の土屋忍先生から「町田先生の特任教授就任に伴い、文学部の学生で何かをやりませんか」と声をかけられ、インターネットラジオ番組を始めることになった。番組名は「イドバタコウギ」に決まり、大学の教員などを招いて、研究内容や専門分野についてわかりやすく語り合う企画を配信する。企画、出演、編集とすべての制作を4人の文学部生でつくり上げた。
初回放送となったのは、町田先生をゲストに迎えたもの。「【着任直前特別収録】小説家・町田康に学ぶ創作論」は3年次が終わる2023年の3月23日に収録されたが、町田先生の存在感に圧倒されたという。曰く「一言一言に重みがあって、作家のすごさというか一人の人間としての迫力みたいなものを感じました」
小説を書き続け、和太鼓を叩き、コピーライティングを学び、映画の監督をして、インターネットラジオ番組「イドバタコウギ」のパーソナリティーを務めた4年間を経て、現在は「社内報」を活用した組織改善を提案し、誌面を制作するグレイスコミュニケーションズ株式会社に勤める。社内報を手がける制作ディレクターとして働くうえでは、武蔵野大学での学びが生きているという。
「大学時代、発展フィールド・スタディーズで新潟県燕市の企業に向き合ったときに、経営者やそこで働く人の頑張り、あるいは商品やサービスの魅力がまだまだ言語化されていない、まだまだ可視化されていないということに気づいたんです。今の仕事では、社内報を企業の経営課題を解決するツールとして捉え、会社をどのような方向に進めていくのがいいのかコンサルティングもしています。そのなかでは『コピーライターはラブレターの代筆屋さんだ』という梅田先生の言葉をよく思い出します」
卒業して2年あまり、部活と勉強に打ち込んだのにどちらも報われなかった中高時代の反動から、表現にとことん打ち込んだ大学生活を振り返ると、新しい自分に出会うことができた時間だったと感じられる。伊藤さんは力強く言う。
「武蔵野大学での4年間は、自分が生まれ変わった時期だと思っています。『文学部って何の役に立つの?』と言われることも多いですが、私は自分という存在を表現することができる学部だと思っていて、そういう意味で高校生までの閉塞感みたいなのを解消できましたし、新しい自分を見つけられた人生の大きなターニングポイントだったと感じています」
武蔵野大学での4年間は「新しい自分を見つけられた人生の大きなターニングポイントだった」と話す
※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。








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