武蔵野マガジン

MUSASHINO CONNECTION

子どもたちに生きる楽しさとたくましさを|中村瞳さん

文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏

中村瞳(なかむら・ひとみ)さん|風の丘めぐみ保育園 保育士
東京都世田谷区出身。國學院大學久我山中学高等学校で学んだあと、2011年3月に武蔵野大学の人間関係学部児童学科(現 教育学部幼児教育学科)を卒業。保育教育に関わるのは中学1年生からの夢だった。大学時代は吹奏楽部のウインドアンアサンブルに所属したのち、「むさオケ」として親しまれる武蔵野大学管弦楽団のサポートメンバーとしてトランペットを吹いた。2024年1月には幼児教育学科が開催したリカレント企画シンポジウム「よりそうことの難しさ」に卒業生として出演している。草履と半袖Tシャツをこよなく愛す。4児の父。

「入学してすぐに現場を経験できたのはめちゃくちゃ意味があった」

「なんか、先生方に目をつけられてたんすよね」

保育士の中村瞳さんは飄々と言う。理由を尋ねると、財布から当時のIDカードを取り出して見せてくれた。こちらをにらむような若者の髪型はアシンメトリーで、右側に限りなく赤に近い茶色のメッシュが一本入っている。中村さんは「後ろの金色のメッシュからずっとつながってて、まあ、ヘアスタイルがこれでしたからね」と明かし、「でも、先生方には本当によくしてもらってたんですよ」と続ける。

出身は人間関係学部児童学科(現 教育学部幼児教育学科) 出身は人間関係学部児童学科(現 教育学部幼児教育学科)

東京都世田谷区に江戸時代から400年ほど土地を持つ家で生まれ育った。中村家のいわゆる本家で、正月や葬儀などのたびに親戚が集まった。そのとき自分より小さい子たちの面倒をよく見ていたという。子どもたちと関わる時間が好きで、自然と「幼稚園か保育園の先生になりたい」という夢が膨らんでいった。親族が世田谷区で保育園を営んでおり──父も自分もその早苗保育園でのびのびと育った──子どもの笑顔があふれる場所が身近にある環境も背中を後押しした。

武蔵野大学の人間関係学部児童学科(現 教育学部幼児教育学科)を選んだのは「教育に興味がある高校の後輩が勧めてくれたから」。どうにも締まらない理由だが、その選択が大当たりだった。中村さんは弾むようにしゃべる。

武蔵野大学は「めちゃくちゃよかった」と言う 武蔵野大学は「めちゃくちゃよかった」と言う

「これが、めちゃくちゃよかったんですよ。先生たちとは一緒にお茶を飲むような距離の近さだったし、実習が多かったのもためになりました。自分たちの代だけ1年生のうちに1週間の保育実習があって、入学してすぐに現場を経験できたのはめちゃくちゃ意味があったと思います。2年生のときの施設実習では、重度の知的障害と身体障害を持つ方のいる成人施設に行ったんですけど、この体験も今に生きています。2年生の実習が終わったあと、厳しい授業で有名だった米山岳廣先生から『中村くんは難しい現場でよくがんばりましたね』と言ってもらえて、あれは本当にうれしかったですね」

教師陣に目をつけられていた学生は、実のところやんちゃな見た目とは対照的に手加減なしにまじめだった。子どもたちは未来をつくっていく希望であり、その存在とはとことん真摯に向き合うべきと考えていた。

子どもが小さいうちは父親より母親になつく傾向にある理由がわかった

忘れられない90分がある。曰く「かなり好きにやらせてもらった」環境の授業で、何人かの友人と蟻たちを試してみた。武蔵野キャンパスの実習棟近くにある石畳に見つけた蟻の巣から、徐々に距離を置いてお菓子を置いていく。どれくらいの時間でどれくらいの場所に蟻たちは出てくるのか、子どもたちの興味に応えるような実験だ。記憶をたどりながら、中村さんは苦笑を浮かべる。

「授業時間の90分、じっくり待ったんですけど、蟻は出てこなかったですね。ああ、90分じゃ足りないんだって。でも、3時間くらいしたら、蟻の群れがわんさかできていたんです。ほかの学生が騒いでいて、友だちと『俺たちのせいだ』って焦ったりしたんですけど、なんだろう、自分の体を動かしてやることはやっぱり学びにつながってくるんだなって。いずれ子どもたちと過ごす際にも体験を大切にしたいなと実感しました」

人間関係学部児童学科の卒業アルバムは今も大切にしている 人間関係学部児童学科の卒業アルバムは今も大切にしている

「実習が多くてとにかく忙しかったんですよね」と振り返る大学生活では、3、4年次に、学科長の伊藤繁先生による音楽に焦点を当てたゼミを受講した。高校時代に吹奏楽部で活動し、トランペットを吹いていた関係から、音に対する興味が強かったからだ。卒業論文では幼児の音楽教育に着目し、特に胎児期の音の聞き方について厚めに論じた。いくつかの文献を参考に、子どもが小さいうちは父親より母親になつく傾向にある理由がわかったという。中村さんは説明する。

「胎児の五感は20週ごろから育つと言われてるんですけど、それでも男性の声は低いし、そもそも羊水は音を通しにくいから父親の声はなかなか届いていないらしいんです。でも、女性の声は一般的に男性より高いし、母親の声はそれこそ体内を通っても胎児の耳に聞こえているので、赤ちゃんは生まれてすぐ声で母親を認識するということがわかっておもしろかったですね。ある意味、小さいうちは父親より母親に安心感を覚えるのは自然のことで、その知識は保育士になったあとも役立っています。理由を説明して『お父さん、だからあんまり心配要らないんですよ』って」

今の夢は、つながりのある村のような空間をつくること

2011年4月、自身の母園である早苗保育園が立ち上げた分園ほなみで保育士とのキャリアをスタートさせた。1年後には同僚と結婚。現在は4児の父としての人生を送る。自然を体験させるのが教育方針で、「烏骨鶏の卵をもらって、それを家のホットカーペットであっためて孵化させたこともありますよ」と笑顔を浮かべる。

2022年4月からは開園と同時に世田谷区の風の丘めぐみ保育園で働く。風の丘めぐみ保育園の母体である学校法人めぐみ学園は、もともと鹿児島県阿久根市で阿久根めぐみ子ども園を運営しており、豊かな自然と触れ合いながら遊びや体験を通して乳幼児期に自己肯定感を育む保育環境で注目を集めていた。学生時代に「自分の体を動かしてやることはやっぱり学びにつながってくるんだな」と実感していた中村さんにとって、その理念のもと立ち上がった風の丘めぐみ保育園は理想的な場所だった。

風の丘めぐみ保育園は「風にのる 森にくらす」をコンセプトに掲げる。中村さんは「子どもたちには地球を感じてほしいんですよ」と充実した表情で話し、言葉をつなぐ。

「緑に囲まれた建物は太陽の光や風が感じられるつくりになっていますし、園の近くにある公園にもよく遊びに行きます。最近は堆肥をつくるコンポストを観察するようなこともありますね。落ち葉を入れて堆肥をつくるんですけど、いつの間にかダンゴ虫やハサミムシなんかが現れてくるんですよ。子どもたちは『どうして?』『土ってなんだろう?』となっていろいろ考えるわけです。そして『虫のうんちが関係しているのかな?』という気づきを得るんですよ」

保育士になって13年目、今の夢は、つながりのある村のような空間をつくることだ。中村さんは「みんなで考えて、みんなでやることをやって助け合っていく。そういう環境で、これからの未来をつくる子どもたちに、地球を存分に感じながら生きる楽しさとたくましさを手渡していきたいですね」と言って目を輝かせた。

※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。

コメントをもっと見る

コメントを残す

※この表示はプレビューです。いただいたコメントは承認後サイトに反映されます。また承認には数日かかる場合があります。

コメントを残す
コメント、名前(ニックネーム可)は公開されます。
いただいたコメントは承認後サイトに反映されます。また承認には数日かかる場合があります。
個人情報や知られてはいけない内容、差別的な内容や誹謗中傷は入力しないよう、お気をつけください。

コメント

名前

メールアドレス※メールアドレスが公開されることはありません。