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武蔵野で得た財産から笑いを|桃沢健輔さん

文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、ワタナベエンターテインメント、武蔵野大学国文学会、鷹羽康博

桃沢健輔(ももざわ・けんすけ)さん|お笑いコンビ「金の国」
新潟県新潟市出身。新潟明訓高等学校で学んだあと、2016年3月に武蔵野大学文学部の日本文学文化学科を卒業。その後、芸能プロダクションのワタナベエンターテインメントが運営するワタナベコメディスクールに通い、2017年にお笑いコンビ「金の国」としてデビュー。2021年には「ツギクル芸人グランプリ2021」と「『マイナビ Laughter Night』第7回チャンピオン大会」で2冠を達成した。2024年2月16日には武蔵野大学国文学会に参加し、俳句の恩師である井上弘美先生と特別対談を行っている。

「武蔵野大学では、考える能力を4年間鍛えてもらった」

2016年3月に日本文学文化学科を卒業 2016年3月に日本文学文化学科を卒業

「摩耶祭のお笑いトークライブに招待してもらえたらうれしいですね」

母校である武蔵野大学での凱旋公演を願うのは桃沢健輔さんだ。2016年3月に文学部の日本文学文化学科を卒業し、現在は渡部おにぎりさんと組むお笑いコンビ「金の国」で、日常に生じるふとしたずれに着目した笑いを届けている。

お笑いに目覚めたのは小学生のときだ。実のところ、家庭の方針からお笑い番組はほとんど禁止されていた。しかし、自由にテレビ番組が観られない環境にあって、祖母の家のテレビで有吉弘行さんが阿部寛さんのものまねをしている場面を目にする。大まじめにふざけている姿に思わず大笑いしてしまった。その後、中学生になってからお笑いをより深掘りするようになり、いずれは“あちら側”に行きたいという気持ちが強まっていく。

本気だった。特に憧れていたのは肩の力が抜けたやりとりで笑いを誘うさまぁ~ずとバナナマンだ。中学卒業時と高校卒業時に2度、親に「お笑い芸人になりたい」と伝えた。しかし、「大学までは行ってほしい」と返されると、「いずれお笑い芸人になるなら東京に出たほうがいい」という思いもあり、大学進学を決意する。武蔵野大学文学部の日本文学文化学科を選んだのは、不得意な英語が入試科目になかったのと、名前の響きがかっこよかったからだった。

決定的に前向きな理由があった進学ではなかったが、武蔵野大学に入って正解だった。桃沢さんはなめらかに言う。

「高校までの勉強って暗記ばかりみたいなところがあるじゃないですか? それが武蔵野大学の講義を通して、考え抜くことこそが学びの本質なんだというのがわかって、すごく楽しかったですね。土屋忍先生のゼミでは文学作品を論じ合う時間が多かったんですが、物事を論じるうえでこれは根拠になる、これは根拠にならないといったことを知れたのがすごく大きかったです。考える能力はもちろん、伏線を見抜く力を4年間鍛えてもらったのは、今コントを生み出す際に生きているのかなと感じます」

創作の講義では俳句の授業を選択

卒業論文では吉行淳之介を扱った 卒業論文では吉行淳之介を扱った

「考え抜くことが学びの本質」という楽しさを満喫した大学生活では、真剣に文学作品に向き合った。最初に読んだ「桜の樹の下には」という短編小説に魅了された梶井基次郎の研究に力を入れ、卒業論文では吉行淳之介がパウル・クレーというスイス人画家から特に視覚的にどのような影響を受けたかを論じた。

文学作品を読み解くのと同時に、作品を生み出す醍醐味も味わった。創作の講義では俳句の授業を選択。「17文字で作品がつくれるんだったら、そんなに単位修得に近いことはないぞ」という安易な考えだったが、手にしたものは大きかった。桃沢さんは振り返る。

「いざ書き始めてみると、短いほうが高度なんだなってことがわかるんですよ。いかに説明しないで伝えるか、うんうん頭をひねらせました。ただ、ものすごく単純に言うと、1時間もあれば俳句は一つの作品ができるんです。たとえば小説と比べると、数が量産できるので成長速度は速いわけで、成功体験の数も増えていきます。説明や無駄を省いても伝える手法は、今のコントに役立っているかもしれません。お笑い芸人になって、大学時代に教わった井上弘美先生とNHKの俳句の番組で共演させてもらったときは感無量でしたね」

俳句の創作以上に長く関わったのが漫画制作だ。入学直後のオリエンテーションでレジュメに『ジョジョの奇妙な冒険』のキャラクターの落書きをしていると、隣の席に座っていた同級生に声をかけられ、一緒に漫画研究部に入った。仲間内で一人暮らしをしているのは自分だけだったから、必然的に武蔵野大学近くのアパートが溜まり場と化した。2年次か3年次のときには部誌の制作担当に指名され、仲間たちと朝まで何日もかけて漫画を描いたり、部誌の仕上げを進めたりした。自身は表紙の絵を任せてもらったという。当時を思い出し、桃沢さんの声が弾む。

「ただ、ときどき制作をほったらかして、いつものように漫画の『遊☆戯☆王』のカードゲームで遊び通しましたね。これがまた、大学生の考える能力を使ったカードゲームって、駆け引きも奥深くて本当に楽しいんです。部誌の制作担当も含め、友人たちと過ごした時間は間違いなく青春だったと思います」

「どこか『お笑い芸人にならない理由』を探していた」

大学時代に手がけた作品。漫画家のアシスタントも務めた 大学時代に手がけた作品。漫画家のアシスタントも務めた

本格的な漫画の世界に、一歩だけ踏み込んだことがある。4年次、漫画研究部の先輩であり、現在は漫画家として活動する大類浩平さんの紹介で、プロフェッショナルの仕事を垣間見ている。2009年にデビューを果たしている漫画家、ゴトウユキコ先生のアシスタントを務める機会を得た。

そして「漫画ではそこまでこだわれない」という結論に達した。仕事の現場では、登場人物に視線を集めたり、動きを持たせたりする効果線を任された。懸命に書いたものの、0.01ミリ単位の違いを求められ、埋められない差を痛感する。自分は細かく書くほうだと思っていたのが、それが勘違いだと突きつけられた。「根底から違う。絶望的な差があるぞ」と肩を落とすと、数回のアシスタント通いで漫画家への道を閉ざすことに決めた。桃沢さんは当時の自身を読み解く。

「結局、どこか『お笑い芸人にならない理由』を探していたような気がするんです。一応、就職活動もやりましたけど、実質、1カ月くらいでしたしね。一つだけ映画配給会社が二次試験までいったんですが、それも提出物を期限までに出すのを忘れてしまって。今振り返ると、就職活動に本腰が入らなかったのも、漫画家のアシスタントをすぐにやめたのも、やっぱりお笑い芸人になりたい気持ちがあったからなんだと思います」

武蔵野大学を卒業して何者でもない状態になると、胸のなかでくすぶっていた夢をようやく追うことに決めた。芸能プロダクションのワタナベエンターテインメントが運営するワタナベコメディスクールに入学する。曰く「高校まではスクールカーストにすら入っていないような地味な存在だった」ため、最初は人前で自己紹介することすらままならなかった。それでも、ネタのつくり方の基本から必死に学び、渡部おにぎりさんに誘われてコンビを結成すると、みるみる成長を遂げ、卒業時には首席扱いで答辞を担当させてもらえた。

2017年のデビューから4年後、2021年に金の国は覚醒する。「お笑いABEMA CUP~ワタナベNo. 1決定戦」の決勝に進出すると、「ツギクル芸人グランプリ2021」と「『マイナビ Laughter Night』第7回チャンピオン大会」で優勝を果たす。有望な若手コンビとして注目され、テレビ出演の回数も増えてきた。

ずっと夢だったお笑い芸人でいられる現状は、武蔵野大学で過ごした4年間と無関係ではない。桃沢さんは歯切れよく話す。

「武蔵野大学では考える能力を4年間で養ってもらえましたし、俳句や漫画といった表現活動もできました。そうした財産があるからこそお笑い芸人として成長できているという実感があります。今、やりがいを感じるのは、考えて考えていいネタが書けたときですね。お客さんが笑ってくれたときはやっぱり最高の気分です」

※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。

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