武蔵野マガジン

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三つの心地よい場所で|松木新さん

文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏

松木 新(まつき・あらた)さん|警察官
福井県小浜市出身。北陸高等学校で学んだあと、2014年3月に武蔵野大学文学部の日本語・日本文学科を卒業。在学中は司書課程も履修し、司書の資格を取得した。歴史学のゼミの友人とは今でも付き合いがあり、年末などに集まっている。武蔵野キャンパスで好きだった場所の一つは図書館で、時間がある際はよく足を運んでいたという。卒業後も史跡探訪を趣味とし、福井県から片道14時間ほど車を走らせ、岩手県の中尊寺を観光した経験もある。

「大学では柔道とは全く別の学びをしたいと考えました」

日本文化も学ぶ環境に興味を引かれた 日本文化も学ぶ環境に興味を引かれた

物心ついたときには柔道を始めていた。小学校1年生で正式に道場に入り、着実に腕を磨いて北陸高等学校に入学後は柔道部に入部した。高校時代には柔道の福井県大会で3位の成績を残し、北信越大会にも出場するほどの実力者だった。スポーツ推薦で名門の柔道部を有する大学に入る選択肢もあったが、柔の道を極める道はいったん諦めた。松木新さんが明かす。

「高校時代、2年生と3年生のときに大きな怪我をしたんですよね。右足と左手のじん帯を傷めんですが、どちらも手術して入院するほどのダメージだったので、大学に進んでからも本格的に柔道を続けるイメージが湧きませんでした。むしろ、大学では柔道とは全く別の学びをしたいと考えました」

福井県小浜市で生まれ育ち、小さなころの遊び場は城跡や神社だった。歴史に対する興味が自然と育まれ、十代になると特に司馬遼太郎や高田崇史などの日本の足跡を扱う本を夢中になって読んだ。日本の歴史や文化を学んでみたいと考えていたとき、武蔵野大学文学部の日本語・日本文学科の存在を知る。日本語と日本文学に加え、日本文化も学ぶ環境に興味を引かれた。歴史学のゼミが立ち上がる点にも強く魅力を感じた。

高校3年生のとき、オープンキャンパスに参加すると、自然豊かでコンパクトな武蔵野キャンパスが気に入った。図書館が充実している点も決め手の一つとなった。指定校推薦の制度を利用して入学した武蔵野大学では、視野がぐっと広がったという。

「自分は福井県という地方に育って柔道一色の生活を送っていたので、ある意味、狭い世界しか知らなかったんです。それが、武蔵野大学に入ってみると、いろいろな都道府県から入学してきている人がいて、いろんな性格の人がいました。学生同士の距離が近いし、講義でも講義以外でも多様な考え方にふれられたのは人間としての成長につながったと感じています」

「演劇研究部での活動はチームワークが重要でした」

武蔵野大学に通っていたころは、心地よい場所が三つあった。日本語・日本文学科と演劇研究部、それから福井県出身の男子学生のための学生寮である輔仁会明倫学舎だ。

「柔道とは全く別の学びをしたい」という点で、高校時代までとはまるで別世界とも言えるのが演劇研究部だった。入学してすぐ日本語・日本文学科で知り合った友人から誘われて入った部活動では主に裏方に回った。柔道で鍛え上げた体を生かして大道具や小道具の制作を担当し、いくつもの劇を支えた。松木さんは「みんなで協力して何かをつくり上げる時間は新鮮でした」と話す。

「それまで打ち込んでいた柔道は個人競技でしたが、演劇研究部での活動はチームワークが重要でした。裏方に回ってほかの部員をサポートした経験は人間としての成長につながったと思っています。みんなで一つの舞台をやりきったときの達成感は忘れられません。4年生の卒業公演では『愛はタンパク質で育ってる』という作品に取り組み、私自身も舞台に立ちました」

男子寮でも多様な考え方にふれられた 男子寮でも多様な考え方にふれられた

「多様な考え方にふれられた」という経験では、東京都武蔵野市にある輔仁会明倫学舎での4年間も印象深い。福井県出身の男子学生が暮らす学生寮で特に思い出に残っているのが3日間にわたって行われる寮祭だ。 学年ごとに出し物を披露したり、最終日には手づくりの神輿をかついで街を練り歩いたり、かけがえのない時間を過ごした。

学生寮では3年生のときに役員を務めている。寮祭の運営をはじめ、掃除当番の割り当てや年度末に出す文集の編集など、業務は多岐にわたった。普段の生活も見守るうえでは、それぞれの考え方を尊重する姿勢が身についたという。大学も年齢も性格も異なる約50人が円滑な人間関係を保つには、むだな衝突は避けなければならない。ほかの役員と協力して各々の声にしっかりと耳を傾け、個性豊かな寮生たちをまとめ上げた。

卒業論文では福井県にあった山城を扱う

大学時代の軸にあり、知的好奇心を大いに刺激された日本語・日本文学科では、4年間の集大成として地元の福井県にあった山城に注目した。卒業論文で扱うことにしたのは、平安時代に源頼親が現在の南条郡南越前町の山頂に築いたとされ、鎌倉時代には瓜生氏の居城となったそまやまじょうだ。

地元の人もほとんど知らないだろう山城跡を調べるにあたっては、フィールドワークを重視した。歴史学ゼミを担当する漆原徹教授からは「あそこは人が登れる山じゃないぞ」と心配されたものの、小浜市の実家から電車に1時間ほど揺られ、最寄りの湯尾駅からまた1時間ほど歩き、何度も山を登った。松木さんは振り返る。

卒業論文では杣山城の跡を調査した 卒業論文では杣山城の跡を調査した

「ほとんど人が登っていないので、道らしい道がないんですよ。石垣や防御のための堀切、敵や動物の侵入を防ぐ土塁がわずかに遺っていて、そうした遺構を見て回ったんですが、熊や猪を見かけるなど怖い思いもしました。杣山城は瓜生氏のあと朝倉氏の持城になっていて、戦国時代に朝倉氏が約100年にわたって越前の国を統治した際の城下町跡である一乗谷朝倉氏遺跡のひな形になったと考えられています。卒業論文では自分の調査に加え、古文書も参考に、その説を検証しました」

三つの心地よい場所で充実した大学時代を過ごした松木さんは今、警察官を務めている。地元に貢献できることや柔道の力を生かせることなどを理由に、大学3年生のときに公務員を志した。警察官である父親の影響もあったかもしれない。公務員試験の勉強には学生寮の仲間たちと一緒に取り組んだ。

仕事をこなすうえでは東京で過ごした4年間の財産が役立っている。松木さんは言う。

「いろいろな人と関わった大学時代で固定観念で考えなくなったり、視野が広がったりした点は、今でもいろんな人と接する際にプラスに働いていると思います。『この人はこんなふうに考えているんだな』と思える心の余裕は、一定の理解を示すことにつながっています。警察官としてやりがいを感じるのは、事件や困り事を解決したときですね。これからも正義感と使命感を持って地域の安全安心を守っていきたいです」

※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。

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