校友トピックス

高女5年生4名を偲ぶ「散華乙女の追悼会」|あの時、あの頃 武蔵野ヒストリア

ブッダの言葉を心に刻んで

2022年12月2日(金)、武蔵野キャンパス6号館と大学図書館の間にある散華乙女の記念碑前で散華乙女の追悼会*が執り行われました。哀悼の意を込めて植えられたというワビスケが、この日に合わせたかのように清楚な白い花を咲かせています。朝は冷え込みましたが、日中は薄日が差すという空模様で、ご遺族や同窓生が座られる席のそばにはストーブが用意されました。同窓会からはくれない会、むらさき会本部の方々が参列し、焼香を行いました。

追悼会ではご遺族や同窓生、学生・生徒代表、学内関係者らが見守る中、西本照真学長より感話をいただきました。その一部をご紹介したいと思います。

学祖の高楠順次郎先生が毎週水曜日の朝のご講話で、最初のひと言は「和を以て貴しとなす」という聖徳太子の言葉から講話を始められたと聞いております。この言葉が1年間を通じて、これほど日々私たちの胸に響いてくる、そういう年も少なかったように思います。

2月末にロシアのウクライナ侵攻があり、その中で私もメッセージを発しましたけれども、そこにブッダの言葉として次のような言葉を書かせていただきました。

「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。
 おのが身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。
 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。
 おのが身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」

『ブッダの真理のことば 感興のことば』(中村元訳、岩波文庫)の「第10章 暴力」の一節でございます。

おのが身をひきくらべて」考えた時に、今爆撃を恐れ、そして寒さに震えながら、生活しているウクライナの方々の平和を願う思い、いかばかりだろうかとの思いでございます。

今年の秋でしたでしょうか。ウクライナのキーウの大学から武蔵野大学に、ひとりの留学生が日本語を学びにやってきました。彼女の夢は日本とウクライナの懸け橋になり、ウクライナに日本語学校を作りたいと、こういう強い思いを抱きながらの来日でございました。私たちもできることは限られていますけれども、「世界の幸せをカタチにする。」という大きな目標を一人ひとり心に留めながら、共々に少しでもその形づくりに歩んで行ければなあと考えて、この日を迎えました。

ウクライナをはじめ、世界で起こっている戦争や紛争は他人事ではありません。アジア太平洋戦の末期、空襲により若くして散華した4人の夢は儚くも消え去ってしまいましたが、キーウの大学からやってきたウクライナ人学生の夢は本学で形づくられようとしています。追悼会を通じて戦争の悲惨さと平和の尊さ、生命の大切さを次世代へつないでいく一方、ブッダの言葉を心に刻んでひとつでも多く「世界の幸せをカタチにする。」ことができればと思います。

関連リンク

散華乙女の追悼会について

「散華乙女の追悼会」を終えて|あの時、あの頃 武蔵野ヒストリア

ロシアによるウクライナ侵攻について 西本学長メッセージ | 武蔵野大学[MUSASHINO UNIVERSITY]

ウクライナ人学生の受入証授与式を行いました | 武蔵野大学[MUSASHINO UNIVERSITY]

*「散華乙女の追悼会」とは
太平洋戦争の戦時中、武蔵野キャンパスの近くには零戦用エンジンなどを製造していた中島飛行機武蔵製作所があり、本学の女生徒達も勤労動員されていました。
1944(昭和19)年12月3日、中島飛行機武蔵製作所への空襲があり、勤労動員中であった生徒達は警戒警報により掩蓋壕に退避したものの、学院の校庭に落下した6発のうちの1発が掩蓋壕に命中し、退避中の武蔵野女子学院高等女学校5年生4名が亡くなりました。
当時、掩蓋壕があった場所の近くに、哀悼の意を込めて植えられたワビスケ(寒椿)と散華乙女の記念樹碑があり、毎年12月3日に追悼会を実施しております。
『爆撃の恐怖に怯え、恐らくは必死の思いで母校の壕に飛び込んだのであろう。だが運命の一弾は瞬時にして四人の生命を奪い去ったのである。汗と油にまみれた青春を、学院の庭に散らした四人を思うと、戦争の非情に憤りを覚えずにはいられない。』
-学院五十年史第四章第三節「戦争と学院」より抜粋-

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