校友トピックス

令和4年6月の聖語

静謐の聖語板に見出してきたこと

有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目することで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。

6月の聖語

古人の跡をもとめず 古人のもとめたる所をもとめよ

松尾芭蕉

今回は数多くの名句を残した江戸時代の俳人、松尾芭蕉の言葉です。近江国彦根藩士で門人の森川許六(もりかわきょりく)が帰藩する際、芭蕉が送った惜別の書に綴られています。

この書状は「許六離別の詞」「柴門の辞」として知られており、芭蕉自筆の原本『許六離別詞』では筆跡のみならず、太陽や萩などを描いた下絵も見どころです。許六は画才に秀でていたことから、芭蕉に絵の手ほどきをしていたといわれています。

さて、門人にして絵画の師匠に、芭蕉はどんなことを書き送ったのでしょうか。『風俗文選・和漢文操・鶉衣』の「柴門辞」では以下のように記されています。

去年こぞの秋、かりそめおもてをあはせ、ことし五月さつきのはじめ、深切に別ををしむ。其わかれにのぞみて、ひとひ草扉さうひをた〻いて、終日ひねもす閑談をなす。其器繪うつはものゑを好み風雅を愛す。

(中略)

はとつて予が師とし、風雅はをしへて予が弟子となす。されども師が畫は精神徹に入り、筆端妙をふるふ、其幽遠なる處、予が見る所にあらず。予が風雅は夏爐冬扇のごとし、衆にさかひて用る所なし。

(中略)

後鳥羽上皇のか〻せ給ひしものにも、これらは歌に實ありて、しかもかなしびをそふると、の給ひ侍りしとかや。されば此こと葉を力とし、其ほそきひとすぢをたどりうしなふ事なかれ。猶古人の跡をもとめず、古人のもとめたる所をもとめよと、南山大師の筆の道にも見えたり。風雅も又これに同じといひて灯をか〻げて、柴門の外におくりてわかる〻のみ。

芭蕉は以前2人が交わした絵画や俳諧の話題に触れつつ、絵画の師たる許六の筆づかいを絶賛し、さらに後鳥羽上皇や南山大師(空海)ら高名な先人の言葉を引き合いに出してエールを送っています。

「古人の…」のもととなるのは、空の漢詩文集『性霊集』の一文「書モ亦古意ニ擬スルヲ以テ善ト為スモ、古跡ニ似タルヲ以テ巧ト為サズ」といわれ、『弘法大師 空海全集 第六巻』では「書も同じく古人の意にならうことをよしと考えていますが、古人の書跡に似ていることを巧みだとはいたしません。」と訳されています。俳諧でも先人の足跡をただ模倣するのではなく、先人の志や理想とするところを追い求めてほしいという芭蕉の願いが込められているのかもしれません。

これは書や俳諧だけでなく、幅広い分野において大切な心構えになるのではないでしょうか。後人の我々からすれば芭蕉も空海も偉大な先人、これからも先人の言葉に学んでいきたいと思います。

松尾 芭蕉(まつお ばしょう)
1644年~1694年(寛永21年~元禄7年)。伊賀国上野(現在の三重県上野市)生まれ。
江戸時代前期の俳人。名は宗房、芭蕉は俳号。主君の藤堂良忠とともに京都の北村季吟に師事して俳諧を学ぶ。のちに江戸でわび・しおり・軽みなどを尊ぶ「蕉風」を確立し、多くの門弟を輩出。また、各地をめぐり歩き、発句や紀行文を残している。主な作品は『野ざらし紀行』『笈の小文』『更科紀行』『奥の細道』『嵯峨日記』など。俳句の多くは『俳諧七部集』に収録されている。

<参考文献>
森川許六 編[他](1915)『風俗文選・和漢文操・鶉衣』、有朋堂書店、pp11-12。
弘法大師空海全集編集委員会 編(1984)『弘法大師 空海全集 第六巻』、筑摩書房、pp241-242。

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