校友トピックス

令和4年5月の聖語

静謐の聖語板に見出してきたこと

有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目することで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。

5月の聖語

雑草という草はない 害虫という虫はいない

今回は詠み人知れず、時折法話などで触れる機会がある言葉です。「雑草という草はない」のみに注目してみると、昭和天皇時代の侍従8名が宮中の様子を綴った『宮中侍従物語』にそれを連想させる言葉が登場します。

当時、両陛下は皇居の一角にある吹上御苑に住まわれており、その庭園は深い緑に包まれありのままの自然の姿が残されていました。ある侍従は吹上御苑について次のように記しています。

陛下の強いご希望で庭園としての手入れもほとんど行われず、自然の姿が残されている吹上御苑は両陛下の唯一のご運動であるご散策の場でもある。ここの一木一草は陛下のお仲間であり、ご公務にご多忙の陛下をお慰めする親しい友人である。

そしてある時、拝命間もない別の侍従が陛下の留守中に庭園の手入れを行い、陛下から呼び出しを受けます。

「どうして庭を刈ったのかね」
「雑草が生い茂ってまいりましたので、一部お刈りいたしました」
「雑草ということはない」
私は、とっさには陛下のおっしゃった意味がよくわからなかった。
「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない。注意するように」というような内容のお叱りであったと記憶している。

侍従の目には、自然のままに生い茂る植物が庭園には場違いな“雑草”に映ったのかもしれません。しかし、生物学者としても知られる陛下は、植物を分け隔てすることをよしとしませんでした。陛下のお人柄や、“親しい友人”である植物へのやさしさが垣間見えるエピソードではないでしょうか。

どんな生きものにも名前があり、限られた命のなかで精一杯生きています。小さな命の大切さを忘れず、自分の都合による考え方で周囲を見ていないかを自戒するためにも、心に刻んでおきたい言葉だと思います。

<参考文献>
入江 相政 編(1985)『宮中侍従物語』、角川書店、p217、pp232-233。

コメントをもっと見る

コメントを残す

コメントを残す
コメント、名前(ニックネーム可)は公開されます。
いただいたコメントは承認後サイトに反映されます。また承認には数日かかる場合があります。
個人情報や知られてはいけない内容、差別的な内容や誹謗中傷は入力しないよう、お気をつけください。

コメント

名前

メールアドレス※メールアドレスが公開されることはありません。