校友トピックス

令和3年12月の聖語

静謐の聖語板に見出してきたこと

有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目にすることで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。

12月の聖語

名声を求むるよりは 信頼ぞ 名を得んとして 信失うな

富士川 游
原文

今月の聖語は医史学者、医事ジャーナリスト、社会事業家、宗教思想家など多彩な肩書きを持つ富士川 游氏の名言です。この名言にあえて説明は不要でしょう。

薬学科や看護学科、社会福祉学科の卒業生の中には、富士川 游氏の名前に聞き覚えのある方もいらっしゃるかもしれません。ここでは本学とゆかりがある浄土真宗の宗祖・親鸞聖人と富士川氏の「縁」を辿ってみたいと思います。

富士川氏は浄土真宗本願寺派門徒の医師の家に生まれました。広島医学校(現・広島大学医学部)を卒業後、医事ジャーナリスト、医史学者として活躍する一方で、1915年に雑誌『中央公論』に論文「親鸞聖人」を発表。そして1916年、親鸞上人讃行会(1919年に正信協会と改称)を発足させ、この会の中心としてさまざまな活動を展開していきます。会の規則より趣旨と事業は次のようなものでした。

趣旨
本会ハ同志相謀リテ、親鸞聖人ノ教ヲ奉ジ、コレニ依リテ以テ精神生活ノ安住及ビ向上ヲ図ランコトヲ期ス」
事業
「本会ハソノ趣旨ヲ貫徹普及センガタメニ左ノ事業ヲナス
(イ)談話会ヲ開クコト。(ロ)聖典ヲ講讃スルコト。(ハ)講演会を開クコト。(二)文書ヲ刊行スルコト。

[三枝博音 1973:303]

親鸞聖人の教えを世に広めるため、讃行会は各地で講演会を開催しました。その講話には本学院の学祖・高楠順次郎博士や、千代田女学園創立者・島地黙雷師の養嗣子となった島地大等らが講師として名を連ねています。

医学も親鸞聖人の教えもジャンルは違えど、生老病死の四苦の解決を目指し、人を救うという目的は共通しています。その両方を探求し、広めようと努めた富士川氏の言葉。この言葉は戒めと共に、道理にかなったものだと思います。

富士川 游(ふじかわ ゆう)
1865年~1940年(慶應元年~昭和15年)。安芸国沼田郡長楽寺村(現・広島県広島市安佐南区)生まれ。
医史学者、医事ジャーナリスト、社会事業家、宗教思想家など多彩な肩書きを持つ。1904年に『日本医学史』を刊行し、1912年に同書で帝国学士院(現・日本学士院)恩賜賞を受賞。1914年文学博士、1915年医学博士の称号を得る。日本医史学会をはじめ、芸備医学会、日本内科学会、日本児童研究会、癌研究会、看護学会、人性学会、日本医師協会など多数の学会や協会を創立。著書多数。
75歳で没する。

<参考文献>
田畑 正久/桑原 正彦/富士川 義之/松田 正典/佐々木 秀美/栗田 正弘/土屋 久(2021)『富士川游の世界 医学史、医療倫理、そして宗教』、本願寺出版社。
土屋 久、堀口 久五郎「富士川游の宗教思想:「内観」から「妙好人」へ」、『生活科学研究第34集』、2012年3月、文教大学、pp177-186。
三枝博音(1973)「富士川游先生」、『三枝音博著作集第四巻』、中央公論社。

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