校友トピックス

令和3年11月の聖語

静謐の聖語板に見出してきたこと

有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目することで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。

11月の聖語

ほんとうのいちばん深い闇は、わかっているという思いです。

宮城 顗

今月は、令和3年8月の聖語に登場した宮城 顗先生の名言です。

さて、聖語には「おっしゃるとおり!」とうなずけるものもあれば、「どういう意味だろう?」とつい考え込んでしまう言葉もあると思います。今月の聖語は、みなさんはどのように感じられましたか。言葉の出典となる『正信念仏偈講義』に、理解の手がかりになりそうな一節があります。

自分はよく知っている、わかっているという自負を持っている者は、素直にひとのことばに耳を傾けることができません。ですから、わかっているということほどめんどうなことはないのです。自分がわかっていないと自覚して、ひとに尋ねよう、ひとのことばを聞こうとする心はいちばん智慧に近いですけれども、わかっているというところに立って聞く耳を持たなくなっている者ほど智慧から遠い存在はないわけです。

みなさんは身近な人の言葉に耳を傾けていますか? 無意識に上から目線になっていませんか?「自分は正しくて相手が間違っている」と思い込んで相手の意見を聞かずに会話を終える、誰にでもそういう経験が一度はあると思います。

仏教では、煩悩のひとつである「慢」は、自他を比較して相手を軽蔑し、おごり高ぶることと、戒められています。自分の心の闇(無明の闇)は、仏教の教えに照らされた時にわかると言えるかもしれません。忙しい毎日を過ごしていると、自分の言動を振り返ることを忘れがちですが、そんな時こそ宮城先生のこの言葉を思い出してみてはいかがでしょう。

宮城 顗(みやぎ しずか)
1931年~2008年(昭和6年~平成20年)。京都府京都市生まれ。
大谷専修学院講師、教学研究所所員、真宗教学研究所所長を歴任。真宗大谷派本福寺前住職。九州大谷短期大学名誉教授。

<参考文献>
※宮城 顗(1992)『正信念仏偈講義 第一巻』、法藏館、p203。

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