静謐の聖語板に見出してきたこと
有明キャンパス正門・モニュメント門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目にすることで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。
11月の聖語
個人は質素に 社会は豊かに
土光敏夫
11月の聖語板
今月の聖語は、石川島播磨重工業や東芝の経営再建を成し遂げ、「財界の荒法師」「ミスター合理化」「行革の鬼」などの異名を持つことで知られる経済人、土光敏夫さん(1896~1988)が信条として掲げていた言葉です。
土光さんは昭和50年代、その手腕を買われ、財政赤字に苦しむ日本の再建を託されました。「増税なき財政再建」を掲げ、行政の無駄を徹底的に見直そうとしたのです。
NHKアーカイブス 「あの人に会いたい」では、インタビュアーの「一切増税をしないで本当に財政再建ができますか」との問いに、このように答えています。
「できます。政府はまず無駄なものを省いていくということが前提である。ぼくはあまり無駄はしない。無駄はね。国民全体はまじめにやっていかなければ。無駄を省いてやっていかなければ、本当の文化は築かれないでしょ。いろんな文化が残っているのを見てもその時代の人々が努力してできたものが文化になっている。楽して文化ができるわけがない。」
土光さんは「メザシの土光さん」とも呼ばれていて、その生活スタイルは清貧そのもの。夕食はイワシの丸干しと野菜の油いためが定番で、玄関の扉を開けるのにもコツが要るほどの茅屋で奥さまと二人暮らし。土光家の生活費は月に十万円もかからなかったそうです。そんな土光さんが言う「無駄を省いてやっていかなければ、本当の文化は築かれない」とはどういう意味なのでしょうか。
書籍「土光敏夫 私の履歴書」の中で、土光さんは論文「日本の自殺」に感銘を受けたという箇所があり、そこに「パンとサーカス」という言葉が登場します。
「パンとサーカス」とは、古代ローマで民衆に食料と娯楽を与え続けることで、政治への不満や関心を別の方向へ向けさせる状況を揶揄した言葉です。
「日本の自殺」によると、ローマ帝国は繁栄後、民衆は勤労や公共心を失って消費や娯楽に傾き、権利を主張するけれど責任や義務を負うことを忘れて遊民化。その途端に恐るべき精神的、道徳的退廃と衰弱を開始したそうです。
土光さんの言う「無駄を省いて」「個人は質素に」とは、倹約という意味ももちろんあると思いますが、「自分を律して生活する」という意味合いも含まれているのかもしれません。
自分を律するって、流れに身を委ねるというよりは、自ら考え、学び、行動するということなのではないでしょうか。
一人ひとりの律した姿勢の積み重ねにより豊かな社会が築かれる。今回の土光さんの言葉はそんなことを言っているのかもしれません。
【参考・引用】
・土光敏夫 私の履歴書|日本図書センター
・NHKアーカイブス 「あの人に会いたい」
11月。みかんもたわわに実る。


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