校友トピックス

令和8年5月の聖語

静謐の聖語板に見出してきたこと

有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目にすることで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。

5月の聖語

「自分を苦しめず また他人を害しないことばのみを語れ
これこそ実に善く説かれたことばなのである」

原始仏典スッタニパータ 451偈


That word only should one speak by which one would not torment oneself nor harm others. That word indeed is well-spoken.

今月の聖語は、もっとも古い仏教聖典である「スッタニパータ[釈尊のことば]」におさめられている言葉のひとつです。

ところで皆さんは「あーなんで私はあんなことを口走ってしまったんだぁぁぁ」と反芻しアタマを抱え悶絶することはありませんか?

不意に口をついて出た言葉というのは、どれだけ取り繕っても元に戻すことはできません。「そんなつもりじゃなかった」と後悔したところで、発した言葉は、あまつさえ姿を変化させながら、生き物のようにひとり歩きしてしまうのです。

ではどんな言葉を発した時に自分はアタマを抱えてしまうのか、改めて考えてみました。

自分を善く見せようとしたとき、相手を口撃してしまったとき、「誰にも言わないで」と言われたのについ口を滑らせてしまったとき、相手の図星をついてしまったとき、図星をつかれて言い訳するとき。なんだか自分の至らなさが浮き彫りにされたようで、またしてもアタマを抱えたくなりました。恐ろしくてもう何も話せません。

が、悩む必要はないのです。今月の聖語にあるように「自分を苦しめず」「他人を害しない」言葉のみを発すればよいのです。

実はこの「スッタニパータ 451偈」は「第三経『よい言葉』」におさめられているのですが、そこには「つぎにあげる四つの条件を兼ね備えた言葉がよい言葉であり」と明確に記されておりました。

「このわたくしの教えに従って、比丘はよい言葉のみを語り、悪しき言葉は口にしない。道理のみを語り、道理に反することは口にしない。心地よいことのみを語り、不快なことは口にしない。真実のみを語り、虚偽は口にしない」


※比丘(びく)…仏教における男性の出家修行者(出典 小学館|日本大百科全書(ニッポニカ))

「スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳|荒牧典俊 本庄良文 榎本文雄著(講談社学術文庫)」

なるほど、確かにこの条件を満たす言葉を言えたときは、自分も相手も深くうなずき納得の表情を浮かべているような。同じく反芻するにしても、心は温かく満たされます。

言葉を完全に制御するのは至難の業ではありますが、まずは「誰も傷つけていないか」と少し気を付けるだけでも結果は大分変ってくるはず。アタマを抱えて悶絶する夜も少なくなるかもしれませんね。

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