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雪頂忌、高楠順次郎先生のエピソードとともに追慕する|あの時、あの頃 武蔵野ヒストリア

高楠順次郎先生のご命日 「雪頂忌」

6月28日は本法人創立者、高楠順次郎先生のご命日 「雪頂忌」です。 今年は6月28日が土曜日にあたるため、前日の6月27日(金)に「雪頂忌法要」並びに「墓参」が杉並区築地本願寺和田堀廟所で営まれました。

本サイトでは過去に雪頂忌の始まりや、過去の雪頂忌がどのように行われていたかをご紹介していますが、雪頂忌は高楠順次郎先生(以降、高楠先生)の学徳を追慕する会とも言えますので、今年は高楠先生のエピソードをいくつかご紹介させていただければと思います。

9歳のころには多くの漢詩をそらんじる

高楠先生の祖父清作さんは、農業を生業としながら漢学等にも造詣が深く、その影響で高楠先生は幼少期から詩経や唐詩選に親しみ、9歳のころには多くの漢詩をそらんじるまでになったそうです。

13歳で小学校の教師として就職

子どものときから群を抜いて勉強のできた高楠先生。私塾桜南舎で学んだ後、13歳で宮内小学校の教師として就職されました。しかも初任給は袋に入れたまま祖父の清作さんに渡されたとのこと。13歳で小学校の教師なんて凄すぎます!

門弟からの愛称は「高楠さん」あるいは「おやじ」

東京帝国大学(現 東京大学)でサンスクリット語を教えていた高楠先生は多くのインド学・仏教学の研究者を育てました。高楠先生はその門弟から「高楠さん」「おやじ」と呼ばれていたそうで、弟子に災難があったときは自分のことのように奔走したり、また弟子の子どもが高等学校に入学すればお祝いするなど、心配りも細やかだったようです。

授業そっちのけで経験談を披露することも

大学での高楠先生は授業そっちのけでご自身の興味深い経験談を披露されることもあり、ネパールの奥地で蟻の塔をみた話、野生の孔雀をみた話、王舎城でグプタ朝の仏像を発見した話などが口をついて出てくることもあり、学生はシーンと聞き入っていたようです。授業は2時間あったと言いますので、この経験談タイムはきっと学生にとってもリラックスできる楽しい時間だったのではないでしょうか。

雪頂講堂にある高楠順次郎像やお写真を拝見すると、あまりの眼光の鋭さに恐れをなしてしまいそうにもなるのですが、学識高く、かつ弟子への心配りも細やかという高楠先生のエピソードを知った上で改めてそのご尊顔を拝見すると、印象もガラリと変わってくるから不思議なものですね。

本法人では毎年ご命日の1週間前から当日までを 「雪頂週間」とし、この期間中は雪頂講堂の仏前荘厳をどなたでも自由にご参拝いただけます。卒業生の皆さんもぜひお参り頂き、高楠先生を追慕いただければと思います。

  • 雪頂講堂の仏前荘厳

    雪頂講堂の仏前荘厳

  • 雪頂忌法要が営まれた6月27日は梅雨晴れのとても暑い日でした

    雪頂忌法要が営まれた6月27日は梅雨晴れのとても暑い日でした

  • 讃仏偈(さんぶつげ)の読経の中、焼香する小西聖子学長

    讃仏偈(さんぶつげ)の読経の中、焼香する小西聖子学長

  • 杉並区築地本願寺和田堀廟所にある高楠家の墓

    杉並区築地本願寺和田堀廟所にある高楠家の墓

<参考文献>
「高楠順次郎先生伝 | 鷹谷俊之(武蔵野女子学院)」
「高楠順次郎 世界に挑んだ仏教学者 | 碧海 寿広(吉川弘文館)」
「高楠順次郎 仏教学者、世界を駆ける 作画 弘兼憲史 ヒロカネプロダクション(学校法人 武蔵野大学 創立100周年記念事業委員会)」

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