文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、アントレプレナーシップ学部提供、鷹羽康博
平松沙彩(ひらまつ・さやか)|起業に向けて準備中
愛知県出身。中部大学春日丘高等学校で学んだあと、2025年3月に武蔵野大学のアントレプレナーシップ学部アントレプレナーシップ学科を卒業。武蔵野キャンパスで好きだった場所は2号館2階のラウンジで、よく友人たちと語り合ったという。在学中には、自分で自分の人生を決めること、そして選んだ道を正解にすることを学んだ。2026年4月から新卒として会社員になる道も考えていたが、就職の選択肢はとらない決断をしている。現在は起業に向けて準備中で、年内に登記予定。趣味は旅行やドライブ。
大学で学んでいる自分を想像してわくわくした
2025年3月に武蔵野大学のアントレプレナーシップ学部アントレプレナーシップ学科を卒業した
「高校時代までは内気な性格で人前に出ることが恥ずかしく、自分を表現することが苦手でした。自己肯定感も高くありませんでした」
凛とした雰囲気を漂わせ、目をまっすぐに見てはつらつと話す姿に、高校時代の面影はまったく感じられない。平松沙彩さんの人生は、武蔵野大学での4年間で文字どおり大きく変化した。
コロナ禍で受験勉強に励むなか、高校の先生からは「東京に行くなら名の知れた大学に行ってほしい」と言われた。けれども、高校3年生の少女は自分の意志を貫いた。いろいろな大学を調べる過程で、自分が学ぶべき場所を見つけていた。平松さんは振り返る。
「高校3年生のとき、武蔵野大学にアントレプレナーシップ学部アントレプレナーシップ学科(以下EMC:Entrepreneurship Musashino Campusの略)ができると知ったんです。『アントレプレナーシップ学部』は日本初。起業家精神を育むと同時に、自分の『好き』で生きていく、自分の足で生きていく姿勢を身につけられるのではと思いました。大学で学んでいる自分を想像してわくわくしたのは初めての経験でした」
自分の胸が高鳴った直感を信じ、反対を押し切ってEMCを受験した
2021年4月のEMC開設に合わせて、武蔵野大学は「アントレプレナーシップ(起業家精神)とは『高い志と倫理観に基づき、失敗を恐れずに踏み出し、新たな価値を見出し、創造していくマインド』です」と発信していた。その方針に高校3年生の少女は深い感銘を受け入学を志した。それなのに、高校の先生からは「そんなわけのわからない学部に行ったら絶対に後悔するぞ」と言い放たれた。
それでも、自分の胸が高鳴った直感を信じ、反対を押し切ってEMCを受験する。自己推薦型の入学者選抜制度である「ムサシノスカラシップ選抜(現 総合型選抜II期(基礎学力型・奨学金対象))」で、見事に合格した。
なぜ周りの声に流されずに、大胆な決断ができたのか。平松さんは明かす。
「『自分を変えたい』という思いが強かったんです。EMCは少人数制で実践的で、最前線で活躍する実務家でもある教授と対話をしながら一緒に学んでいけるという情報を目にしていたので、そういう環境なら学びがいがあるとも感じました。そもそも以前からバングラデシュなどで鞄やアパレル製品を製作するマザーハウスという会社を切り盛りしている山口絵理子さんに憧れていた部分もありました」
寮の共有スペースで夜通し語り合ったことも
在学中には1年生から4年生までが親睦を深める1泊2日の林間合宿の立ち上げを主導した
EMCでの4年間で特に印象に残っているのは「対話の多さ」だという。
EMCの1年生は全員が1年間の寮生活を送る。約70人の大所帯では寮内で話し合う場面が必然的に多くなる。寮の共有スペースで夜通し語り合ったこともある。そこには「人の夢を笑わない」という不文律の文化が生まれていて、入学1年目、個性豊かな仲間たちと自分の考えやビジネスのアイデアを交わし合う時間は間違いなく刺激的だった。「70人の家族ができたというつながりの深さは大きな財産です」と話す。
少人数制の講義や寮生活を通じて、内気で人見知りな性格はほどなく目立たなくなった。さまざまな教授から伝えられた「まず小さく行動してみる」という教えに背中を押され、前向きさも身についた。友人たちと話すうちに、実は自分が好奇心が旺盛だという点にも気づかされた。
EMCに入学後、早くから「まず小さく行動してみる」を実行し、さまざまな挑戦をした
行動力と積極性を携えた平松さんは、大学1年生のうちに早くも企業でのインターンシップを経験。さまざまなイベントに足を運び知見を広げたり、友人が立ち上げた合同会社で「社会人になることが楽しみだ」と感じる学生を増やす活動を行ったりした。
「自分を変えたい」という思いを胸に足を踏み入れた学び舎で、早くから「まず小さく行動してみる」を実行しさまざまな挑戦をしていた平松さんは、大学2年生が終わろうとする2023年2月、より大きな転機を迎えた。EMCの津吹達也先生のゼミの一員としてカンボジアのプノンペン市で過ごした濃厚な日々を振り返り、「本当に自信になった1カ月でした」と言葉に力を込める。
「海外でビジネスを展開してみる、という挑戦的なテーマに興味があったんです。そのなかで『日カンボジア絆フェスティバル2023』というイベントで出店する取り組みがありました。特に印象に残っているのは、現地の障害者施設の方たちがつくっていたドライフルーツを販売したことです。カンボジアではドライフルーツを好んで食べる人が少ないようで、『アイスクリームと一緒に売ってみよう』とか『試食をしてもらおう』とか、いろいろとアイデアを出して実践してみることの大切さを学びました」
高校時代は国際コースで学んだ。高校1年次にはオーストラリアに2カ月ほど留学しており、もともと海外志向が強かった。カンボジアで試行錯誤した1カ月は思い切り楽しめた感覚が大きく、国境を超えた生き方への思いがより高まった。
1000名以上が参加した起業イベントで「教員賞」を受賞
「EMC SUMMIT -未来の前では、誰もが仲間だ。-」という起業イベントで「教員賞」を受賞
カンボジアで自分を再発見してからほどなく、大学3年次には授業の一環として仲間たちと一緒に「Rinks(リンクス)」というアパレルブランドを立ち上げた。親子やファミリーを対象に「リンクコーデ」を楽しめる洋服をオンラインで販売するセレクトショップで、このプロジェクトは2024年2月、EMC生やオンライン参加を含む1000名以上が参加した「EMC SUMMIT -未来の前では、誰もが仲間だ。-」という起業イベントで「教員賞」を受賞している。
Rinksが一定の評価を受けてから1カ月後、今度はアメリカでさらなる成長の機会を得た。大学3年生が終わろうとする2024年3月、EMCの選抜型海外プログラムという留学制度を利用し、ボストン大学とバブソンカレッジで英語によるグループ発表やプレゼンテーションなどを経験した。期間は1週間ほどだったけれど、得たものは多かったという。
大学4年次にはボストン大学が主催するケーススタディコンテストに参加
「とにかく授業の熱気がすごかったんです。EMCも対話を重視する学部ですが、それ以上に学生の熱量があって、授業を学生全員で一緒につくり上げている感覚がありました。向こうの学生は表現することが本当に楽しそうで、その姿を見て『私ももっと自分を表現していいんだ』と思いました」
大学4年次にはボストン大学が主催するケーススタディコンテストに参加しリーダーとしてチームを引っ張った。全世界の大学を対象にしたコンペティションで、合計16カ国、21校、70チームがエントリーしたなか、オンラインの予選大会を突破。インドネシアのジャカルタで開催された決勝戦ではアジア代表として、現地のニッケル鉱山会社が直面している課題を解決する方法をプレゼンテーションした。
在学中はプレーヤーとしてだけでなく、「コネクター」としても、学部内のイベント企画に注力し、学部の文化形成にも貢献した。1年生から4年生が親睦を深める1泊2日の林間合宿や、「EMCのあり方」について学生と教授全員がともに考えて対話する「EMC Conference」の発起人であり、一から仲間を巻き込みながら新たな文化を生んでいる。学生が主体となって学部を創り上げるはじめの一歩となった。卒業時には、EMC、ひいては武蔵野大学の存在を広く知らしめた学生を表彰する「むらさき会賞」を受賞した。
大学卒業後の1年間は「ギャップイヤー」として、さらなる自己研鑽に励む。たとえば約2カ月をかけてベトナム、フィリピン、タイ、マレーシア、インドネシアをめぐり、見聞を広めてきた。地球規模で、自分の「好き」で生きていく思いはさらに募っている。帰国後は、仲間と新しいサービス開発に挑戦している。自身の海外経験から世界が広がり、自分も変われた経験から、国外に行かずとも気軽に留学体験ができる国内留学の事業に取り組んでいる。日本に住む国際夫婦のもとでのホームステイ経験を通して「世界を広げる」「自分を変える」「英語を好きになる」機会を提供したいと、国内留学のマッチングプラットフォームを開発中だ。
「いずれは日本と海外をつなげられる人にもなりたい。海外に向けて日本のよさを伝えたり、広げたりすることをしたいという思いも強くなっています」
そう言って、まっすぐに夢を見る。「内気な性格で人前に出ることが恥ずかしく、自分を表現することが苦手」だった名残は、もうどこにもない。
「いずれは日本と海外をつなげられる人にもなりたい」
※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。
関連リンク





コメントをもっと見る