文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏
高田 杏(たかだ・あん)|NPO法人青少年自立援助センターYSCグローバル・スクール
東京都出身。東京都立桜町高等学校で学んだあと、2023年3月に武蔵野大学のグローバル学部日本語コミュニケーション学科を卒業。日本語教員養成課程も修了している。ゼミで2年間お世話になった神吉宇一先生については「学びの面白さや意義を教えてくれた存在」だと話す。在学時のグループワークでは、自ら前に立つことも、仲間を後押しすることもあり、その場の状況に応じて臨機応変に立ち回っていた。趣味はダンスと旅行。
通称「ういちゼミ」の「自由さ」に引かれた
2019年4月にグローバル学部日本語コミュニケーション学科に入学した
短編映画を、2本撮った。武蔵野大学での思い出と言えば、映像制作に費やした時間に尽きる。
2019年4月、グローバル学部日本語コミュニケーション学科に自己推薦型の「ムサシノスカラシップ選抜」で合格した高田杏さんが3年次に選んだ学びの場は、神吉宇一先生のゼミだった。通称「ういちゼミ」の「自由さ」に引かれた。高田さんは明かす。
「神吉先生のゼミの合言葉は『社会を今よりちょっとだけマシにしよう』というもの。その思いが軸にあれば、何をやってもいいという雰囲気があって、『自分のやりたいことができるかな』と思ったんです。昔から映画が好きで、『いつか自分でもつくってみたいな』と思っていたのですが、『ういちゼミ』ならそれが実現できるかなと考えました」
2年次の2020年、新型コロナウイルス感染症の蔓延で翻弄された影響もある。ほとんどがオンライン授業になり、計画していた留学や海外ボランティアの可能性も消えてしまった。学生生活が停滞するなかで、「あと2年、せっかくだからやりたいことをとことんやろう」という気持ちが強まった。
在学中は短編映画を2本撮影。右から2人目が高田さん
「ういちゼミ」では、多様な人がお互いに尊重し合いながら生きていける共生社会につながるような活動を行っている。2本の短編映画も共生社会の実現を念頭に置いてつくられた。脚本を手がけ監督も務めるうえでは、2人の先達から貴重な助言を得た。中高時代の友人から、尚美学園大学の芸術情報学部で教壇に立つかたわら映像制作の第一線で活躍する藤橋誠さんを、また、神吉先生からドキュメンタリー映画の映像ディレクターやプロデューサーを務める千葉くららさんを紹介してもらった。いずれからも「いいものをつくろうとか正解を探すとかいうより、自分が伝えたいものや自分の表現を大事にしたほうがいい」という内容の言葉をかけてもらったことをよく覚えている。
3年次に制作を始め、4年次の冒頭に完成させた作品が『私の親友』だ。曰く「武蔵野大学の日本語コミュニケーション学科をモチーフにしていて、自分に自信がなく、将来やりたいことが見つからない主人公が、その学科に入っていろんな勉強を通して、自分のやりたいことを見つけていくというストーリーです」。高田さんは続ける。
「日本語コミュニケーション学科は留学生も多く多様性に富んだ場所なので、『こういう学びの場もあるんだよ』という魅力を、高校生だった自分に伝えるようなイメージでつくりました。4年次の終わりには『ディスダンス』という短編映画を完成させたのですが、こちらも自分自身の学びが影響しています。日本語コミュニケーション学科ですら留学生と日本人学生の間に見えない溝があるなと感じていて、その事実や共生社会の大切さを伝えたいと思って制作に取り組みました」
オープンキャンパスで模擬授業を受け、進学を即断
そもそも、武蔵野大学を選んだきっかけはオープンキャンパスだった。中学生の頃から海外の映画や音楽が好きだったこともあり、自然とグローバル学部に興味を持った。高校3年次の夏に有明キャンパスに足を運び、その場で武蔵野大学への進学を即断した。高田さんは振り返る。
「オープンキャンパスの当日、藤本かおる先生の模擬授業を受けたんです。男性の老人、若い女性、小さな子どもなど、さまざまな人物が描かれたイラストを前に、『その人の一人称を考えてみよう』という内容でした。男性の老人なら『わし』、若い女性なら『わたし』といった回答が多かったんですが、藤本先生には『それって固定観念ですよね』と指摘されました。一人称は人によって違う、誰かとやりとりする際に自分をなんと呼ぶのかというコミュニケーションの根幹みたいな話を聞いて、『面白い! ここで学びたい』とすぐに思いました。日本語コミュニケーション学科は半分が留学生だという環境にも魅力を感じました」
「ういちゼミ」の仲間たちと。前列右から2人目が高田さん
東アジア・東南アジアからの留学生が多い日本語コミュニケーション学科では、周りから大きな刺激を受けた。母国で日本語教育に携わりたい。いずれ日本で働きたい。強い意志を持って海を超えてきた留学生たちには明確な目標があり、その学びの熱意に焚きつけられた。グループワークで2本の短編映画制作に懸命に打ち込んだのも、留学生たちが醸す意欲に満ちた空気感が間違いなく影響している。
学科外で得た財産も少なくない。1年次の夏休みには学部の垣根を超えた学外学修プログラムの「フィールド・スタディーズ(FS)」で長野県信濃町を訪れた。2週間ほどの滞在では、工学部や経済学部などの同級生たちと農作業を手伝ったり、信濃町の現状にふれたり、地域おこしのアイデアを発表したりと充実した時間を過ごしている。宿舎で夜にみんなでパンケーキをつくったのも忘れられない思い出だ。
授業以外の場でも青春時代を過ごすことができた。高田さんが話す。
「小学校で習っていたダンスをもう一度始めたくて、大学の公認ダンス部『Dance Club Alpha(ダンスクラブ・アルファ)』に入りました。主にヒップホップを踊っていて、夏休みに合宿をしたり、ずっと一緒に踊ってきた仲間たちと3年次に卒業公演を行ったり、本当にいい思い出ができました」
大学の公認ダンス部「Dance Club Alpha」でも充実した時間を過ごした
「多文化共生に関わりたい」と思い転職を決意する
卒業論文は「長期的な国際共修の効果について」というもの。日本語コミュニケーション学科の日本人学生と留学生にアンケートに答えてもらい、日本人と外国人が学ぶときは早めに密なコミュニケーションをとって共生を図ったほうが、いずれの距離も縮まり、共同学習の時間を通じて学びが促進されるという結論を導き出した。
卒業後はシステムエンジニアとして就職し、未経験ながら前向きに仕事に取り組んでいたけれど、「やっぱり、やりたいことをやりたいな」「多文化共生に関わりたいな」と思い転職を決意。2025年の4月からはNPO法人青少年自立援助センターYSCグローバル・スクールで働く。海外にルーツを持つ子どもと若者のために日本語教育や学習支援事業を展開する団体で、共生社会の実現に向けて日々を過ごしている。高田さんが説明する。
「やっぱり、やりたいことをやりたいな」「多文化共生に関わりたいな」と思い転職を決意した
「私の部署は外国にルーツを持つ15歳以上の若者や生活者が対象で、日本語教室の運営に携わったり、そのほかの生活の支援をしたりしています。教室はオンラインで実施しているので、日本全国に日本語支援プログラムを受けている外国人がいます。複雑な背景を持っている人や、仕事ができない在留資格の人が多いんですが、そういう方々が日本語力を上げて仕事に就けたり、少しでも生活がよくなったりすると『よかったな』と思うし、感謝してもらえると本当にやりがいを感じます」
転職して2年目。今は日々、日本語学習の教室運営と生活支援で精いっぱいだけれど、「何か新しいことができたら」とも考えている。「『日本人の友だちをつくりたい』という声も聞くので、日本社会との関わりをもう少し増やせるような取り組みができたらいいなと思っていますし、学習者同士のつながりの機会を増やすこともできないか、とも考えています。より多文化共生に関わっていきたいですね」と話す。
多文化共生、つまり「『生きる』を、ともに」をより強く実践していくには武蔵野大学での4年間が大きく生きてくる。高田さんの表情が凛とする。
「今の仕事は、『ういちゼミ』の『社会を今よりちょっとだけマシにしよう』というモットーに通じる部分が大きいと思っています。武蔵野大学では社会をよくするために学び続ける大切さと知る努力を重ねる重要さに気づきましたし、今後もその姿勢を持って仕事に取り組んでいきたいです」
「武蔵野大学では社会をよくするために学び続ける大切さと知る努力を重ねる重要さに気づきました」
※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。





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