静謐の聖語板に見出してきたこと
有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目にすることで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。
8月の聖語
仏教における「喜」
生きとし生けるものが幸せになることを 自分事のように喜ぶこと
8月の聖語板
皆さんは他人の幸せを心から喜ぶことができますか?
たとえば、試合や競争の場面で自分は負け、仲間が勝ったとき。
「おめでとう!」と祝福の言葉をかけつつも、「どうして自分は…」と、心の奥底に沈む嫉妬のかたまりに気がついてしまうことってありませんか?
今月の聖語は、仏教の教えである「四無量心(しむりょうしん)」に由来しています。
四無量心とは、無量の衆生(生きとし生けるもの)に対して、楽を与え、苦を除かせようとして起こす四つの心のことで、仏教において大切な実践の一つとされているそうです。
【四無量心
・楽しみを与える「慈無量心」
・苦しみを除く「悲無量心」
・他人の喜びを自分のことのように喜ぶ「喜無量心」
・誰に対しても偏りなく接する「捨無量心」
(出典 | 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について)
この四つの心のうち、特に難易度が高そうなのが「喜無量心」なのではないでしょうか。他人の喜びは、同時に自分の嫉妬心を浮き彫りにしてしまいます。素直に喜べない自分にも、どんより心が沈みます。
この厄介な「嫉妬心」をなんとかせねば…と考えてみたりもしましたが、親鸞聖人も「臨終の一年に至るまで止まらず消えず絶えず」とおっしゃているくらいなので、どうやら一生のおつきあいになることは確定です。せめて振り回されないような方法はないものでしょうか。
たとえば、先に述べた試合で、自分も同じく勝利をおさめたとします。するとあら不思議。仲間にも「おめでとう!練習がんばったもんね!やったね!」と心の底から祝福の言葉をかけることができそうじゃありませんか?自分自身が充実していれば、嫉妬心もムクムクとその存在を露わにしてこないような。
まずは自分自身を満たし、充実させること。自分なりの幸せを見つけること。その積み重ねが、他人の幸せを自分事のように喜ぶ「喜無量心」への小さな一歩につながるのではないか、ひいては嫉妬心に振り回されることも少なくなるのかも…と、夏空を見上げて思う8月なのでありました。
【参考・引用】
親鸞 珠玉の名言・格言21選|心を輝かせる名言集
夏! 入道雲と武蔵野キャンパス7号館


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