校友トピックス

令和7年9月の聖語

静謐の聖語板に見出してきたこと

有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目にすることで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。

9月の聖語

「霧の中をゆけば 覚えざるに衣が湿る 善き人に近づけば 覚えざるに善き人となる」

道元禅師

今月の聖語は鎌倉時代の禅僧で禅宗の一派である曹洞宗の開祖、道元禅師の言葉です。道元禅師の法語をその弟子が記した語録書「正法眼蔵随聞記」の中にこの言葉がありました。

昔の人は、「霧の中を歩くと、知らないまに、着物がしっとりする。」と言っている。すぐれた人に親しんでいると、気がつかないうちに、自分もすぐれた人になるというのである。

昔、倶胝和尚につかえていた一人の童子などは、いつ仏法を学び、いつ修行したとも見えず、自分でも気がつかなかったが、久しく仏道を学んだ人の身近にいたので、道を悟った。

坐禅も、自然に長い間やっていると、ひょっこり悟りが開けて、坐禅が仏法の正しい入り方であることがわかる時もあるであろう。

 

『正法眼蔵随聞記』水野弥穂子訳|筑摩叢書5

先日受験を控えた娘が姉妹塾の勉強会に参加した時のこと。あまりにも熱心に勉強に取り組む周りの様子に、戸惑いながらも大いに感化されたようで、その日を境に別人のように気持ちが切り替わったようでした。

その姿を目の当たりにして「良い環境に身を置くってなんて大事なんだろう」としみじみ思った訳ですが、はたと頭に浮かんだのは「善き人に近づけば 覚えざるに善き人となる」という道元禅師の言葉。「やっぱりそうなんだ」と妙に腑に落ちた次第です。

皆さんにも、例えばサークル活動で丁寧に教えてくれる先輩の姿を見ているうちに、自分も自然と思いやりをもって後輩に接するようになっていた、とか、ゼミでまわりが積極的に発言しているので自分も発言することが苦ではなくなった、なんて経験ありませんでしたか?

逆もまた然り。良くはない環境にも人はすぐに染まってしまうのが恐ろしい所ではありますが、自分にとっての「善き人」は一体誰なのか、「善き環境」とはどこなのか。その見極めが自身向上の秘訣なのかもしれません。

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